きょうは勝ったと思った。
ええい。きょうの話はもういいやろ。

この頃物議を醸している審判について書きたい。普段なら戦評と分けて書くところだがきょうの試合については頭が回らない。ヤクルトも負けたし3強(という表現が正しいのか)の差が縮まっただけだとほっかむりして逃げまわりたいと思う。

そんでもって、きょうは以下を例えに出しながら話を進めていきたい次第。 
  • 首相だから正しいのではない。正しいから首相になったのだ。
  • 「審判」の語源は「仲介者」である。
  • 謝ることが「できる」人間こそが信用される。
  • 「マナーが紳士を作るんだ。わかるか?」


卓上 阪神タイガース 2016年 カレンダー 卓上

審判の「権威」とはなんだ?

件の幻のホームラン、果ては試合後に審判がマートンにわざわざ暴言を吐きに行ったという話題も含めて、審判の権威について考えるようになった。メジャーリーグで遂行されているビデオ判定やチャレンジ制度の拡充/導入についても取り沙汰されている。ここで反対派の意見を見ると「審判の権威」なるものが現れる。正直、ここが疑問なのだ。

首相だから正しいのではない。正しいから首相になったのだ。

審判になぜ権威が必要なのか。
いや、まずは権威の定義を考えてみよう。この場合は、選手たちからのリスペクトという意味で合っているだろうか。以下この意味でもって考えてみるが、権威=リスペクトであるなら、それは個人対個人の話であるように思う。審判だからエライ、ってのは通じないんじゃないか。おっ、エライ審判さんもいたもんだ、これは交誼を結びたい、こう思わせてこそなんじゃないか。私は総理だから正しいのです、なんてどこかの国の首相が言っていたが、本末転倒もいいところだ。正しさの審査を受け続けてこそその要職につけるのだろう。審判もどこぞの首相も、本来の手続きと浴び続ける他人の目をクリアした結果になるものだと思う。正しいから審判/首相になれたのだ、と胸を張って言ってほしいもんだ。そして、なれたとしてもその要職が正しさを担保するものではない。審査はいつまでもつづく。

「審判」の語源は「仲介者」である

ほかの意味で考えられるのは、選手対選手が戦う場においての立ち会い人(=審判)は、選手よりも上の立場でないといけない、こんな感じだろうか。個人間の感情は排して、組織的にこの立場を作らなければならない、言い換えれば組織として審判に権威を「渡す」というか。しかしである。スポーツライターの玉木正之氏がよく引き合いに出すのは「審判」を表すラテン語の語源を探れば「仲介者」に行き着くということである。選手と選手の間をルールでもって仲介する、この役割こそが審判である。仲介者に権威を「渡す」必要はあるのか?

謝罪が「できる」人間こそが信用される。

その意味においてはメジャーリーグの審判はまさに「仲介者」であると思う。チャレンジ制度ではビデオ判定を行うのは審判ではない。メジャーリーグの映像担当者である。かといってメジャーリーグの審判たちに権威がないのか?それはよくわからんが先の理論でいえば個人として尊敬を集める審判は数多いるだろうことは容易に想像がつく。なぜならば、訂正し謝罪を行うからだ。すぐに謝罪する人間は鼻持ちならないが、謝罪ができる人間は信用される。それは謝罪が「できる」からだ。

「マナーが紳士をつくるんだ。わかるか?」

映画「キングスマン」を見た。英国紳士御用達のスーツ誂え屋さんが副業でスパイ活動をしていてね、荒唐無稽うんぬんというヤツなのだが、ここでも「立場」と「行い」についての考え方がストーリーに縦筋をピンと張らせている。いわく、「マナーが紳士を作る」。階級社会イギリスにおいても、先祖代々受け継がれた資産が紳士を作るのではない、自分の日頃の行いが結果として紳士を作るのである。

ポスター アクリルフォトスタンド入り A4 パターンQ キングスマン 光沢プリント
コリン・ファース超かっこいい。

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コメント

  1. 1 2015年09月19日 11:10 id:L.o10y5e0
    むこうは審判もマイナーリーグで結果を出さないとメジャーリーグの審判をできないので、メジャーでジャッジしてるというだけで既にリスペクトされる存在なのだそうです
  2. 2 ちな虎 2015年09月19日 21:13 id:z8qFkc4v0
    哲さん

    審査を受け続けてきたゆえのリスペクトというわけですね。
    それでも、映像での判定をシステムとして組み入れている。

    そしてそれでも、審判の権威は揺らぐことはない。
    判定が持つ「あやふやさ」は、権威と反比例することはない。ビデオ判定を導入することで権威が落ちる、なんてことはないはずなんです。

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