
もう表題だけで書ききった気分だけど、書いてみよう。
アラフォー選手たちが次々と引退宣言している。一時代を築いた選手たちがグラウンドを去る。やりきったのか、まだまだやれたのか、それは本人の胸の内だが、ワタシからまず言いたいことは、おつかれさま、だ。
ファンとしてはおつかれさまと声をかけるしかないが、同じグラウンドに立つ選手たち、これからもグラウンドに立ち続ける若い選手たちにはするべきことがある。それは引退する選手たちに引導を渡すことだ。介錯をすることだ。

というか、藤浪は野球を始めてから介錯をしつづける人生だったと思う。ホラ、よくあるでしょう、同世代の◯◯を見て「プロは無理だな」と他の道を模索し始めた、というエピソード。最近見た何かの雑誌には、俳優の阿部サダヲが石毛博史を見て野球を諦めたとの話が載っていた。なんだか彼らが同年代というのは信じられない話だがマア歳相応か、というのは置いといて、目の当たりにすることで現実を知る、ということはある。
藤浪を見て、または実際に対戦し打ち取られたことで現実を知った選手たちはかなり多いだろう。それは野球エリートが集まる大阪桐蔭においても、である。プロ野球界に入ってからも、である。藤浪晋太郎はかくも残酷である。
小笠原道大は「尾張の武将」めいた風貌になっていた。もしかして日本の地理的な中心を「岐阜」と名づけたアノ人かと思ったが野球選手である。尾張守、いや小笠原はキャッチャーからプロ人生を歩みはじめ、ポジション転向、ついには代打へと稼業を変えながらグラウンドに立ち続けてきた。なるほどチームも渡り歩いている。そんな「往生際の悪い」小笠原は、この試合のこの打席のために現役を続けていたのかもしれない。
参考文献
山本昌が「用済みだよ」と言ってほしい相手 : ちな虎お知らせのあとは「ちな虎」からのおねがいがあります!
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コメント
…あ、いえ、毎日と言わず、これからも”ぼちぼち”に頑張ってください!
ちなみに、私のとある後輩もかの宮崎では自他共に認める
長距離バッターを自負していたものの、
入学した中央大学の練習を見た瞬間、あっさり(というかバッサリ?)
「あ、これ無理…」って思って野球を諦めちゃったそうです。
彼が練習中のグラウンドで見たというその選手は、
誰あろう現巨人軍・阿部慎之助捕手だったそうで。
そりゃ、”天才”が同じ年代で同じグラウンドにいたら、ねぇ…。
阿部慎之助はダレよりも練習する主将だったらしいですからね。
大学時代の話ですが。
他人の才能云々よりストイックさに負けることは多々あります。
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